表の記載順序は、原則として事件を終了させる裁判の日を基準とし、控訴・上告が取下げられた場合は取下げの日、決定で控訴が棄却された場合は当該決定の日によっています。
表の左端に付された番号は、便宜上付しているものであり、死刑確定の順序を示すものではありません。
※本ページの引用方法(推奨):CrimeInfo(crimeinfo.jp)掲載『死刑確定者リスト 再審により無罪となった死刑確定者』より引用
No. | 名前 | 事件発生日 | 逮捕年月日・年齢 | 一審判決 | 控訴審判決 | 上告審判決 | 再審無罪 判決 |
備考 |
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1 | 免田栄 | 48.12.29 ~30 (再審無罪 判決) |
49.1.16 23歳 (再審無罪 判決) |
50(昭20).3.23 熊本地裁八代支部 昭和24(リ)11等 (再審無罪判決より) |
51(昭21).3.19 福岡高裁 昭和25(う)1110 (再審無罪判決より) |
51(昭26).12.25 最高裁 昭和26(あ)2678 裁判所ウェブサイト |
83(昭58).7.15 熊本地裁八代支部 昭和47(た)1 判時1090号21頁 TKC D1-Law (読87.7.15夕) |
いわゆる免田事件。民家に強盗が侵入、鉈や包丁により夫婦が殺害され、娘2人が重傷を負った事件。免田氏は別の2件の窃盗事件で逮捕され、いったんは釈放されるが、その2時間後に強盗殺人などの疑いで再び逮捕され、犯行を自白した(その前後6日間の取り調べ中、舎房で寝れたのは1晩だけだったという)。1審の公判途中から事件当日は他の場所に宿泊していたとしてアリバイを主張したが、有罪となり、最高裁で死刑が確定。その後、再審請求を繰り返した。第6次再審請求において、熊本地裁八代支部が棄却する決定をしたが、抗告審福岡高裁がそれを取り消して再審を開始する旨の決定を行い、最高裁が検察側特別抗告を棄却して、再審公判が始まった。再審公判では事件当日のアリバイが認められ、また、捜査段階の自白調書の信用性や検察側新証人の証言の信用性、警察の血液鑑定の信用性も否定された。免田氏は即日釈放された。釈放時57歳(読87.7.15夕)。検察側は控訴を断念、無罪が確定した(読83.7.27夕)。2019年2月、自身の再審や死刑に関する資料を熊本大文書館に寄贈。国から免田さんに届いた「再審請求中により死刑の執行はされない」という趣旨の文書も含まれる(西日本19.3.13朝)。同年9月に一部が公開された。文書館では、同年中の目録完成を目指すという(西日本19.9.16熊本朝)。2020年12月5日、老衰のため入所していた高齢者施設で死去した。享年95歳(毎20.12.6朝)。 |
2 | 谷口繁義 | 50.2.28 (再審無罪 判決) |
50.4 19歳 (読06.1. 6朝) |
52(昭27).2.20 高松地裁丸亀支部 (再審無罪判決より) (毎日84.3.12夕) |
56(昭31).6.8 高松高裁 (再審無罪判決より) (毎日84.3.12夕) |
57(昭32).1.22 最高裁 (再審無罪判決より) (毎日84.3.12夕) |
84(昭59).3.12 高松地裁 昭和51(た)1 判時1107号13頁 判タ523号75頁 TKC D1-Law (朝日84.3.12夕) |
いわゆる財田川事件。就寝中の62歳男性が包丁で30数か所以上切りつけられて殺害され、現金が奪われた事件。この約1か月後に起こした別の強盗致傷事件で当時19歳だった谷口氏が逮捕され、一審有罪判決を受けたのに引き続いて、財田川事件の容疑者として本格的な取り調べを受ける。約1ヵ月半後に犯行を自白、起訴された。公判に入ると一転否認したが、最高裁で死刑が確定。その後1回目の再審請求は高松地裁丸亀支部で棄却された。2回目の再審請求も高松地裁丸亀支部で棄却され、それに対する即時抗告も高松地裁で棄却されるが、特別抗告審において最高裁が高松地裁に差し戻し、81年3月高松高裁で再審開始が確定。再審公判が開かれ、84年3月12日高松地裁は自白の信用性を否定し、血液鑑定の結果の証拠としての能力も否定し、無罪判決を出した。谷口氏は即日釈放された。釈放時、53歳(朝日84.3.12夕) 検察側が控訴を断念、無罪が確定した(読84.3.24朝)。 |
3 | 齋藤幸夫 | 55.10.18 (再審無罪 判決) |
1955.12 24歳 (朝日06.7. 5宮城) |
57(昭32).10.29 仙台地裁古川支部 (再審無罪判決より) |
59(昭34).5.26 仙台高裁 (読59.5.26夕) |
60(昭35).11.1 最高裁 (再審無罪判決より) |
84(昭59).7.11 仙台地裁 昭和48(た)2 判時1127号34頁 判タ540号97頁 TKC D1-Law (読84.7.11夕) |
いわゆる松山事件。齋藤氏は、金を盗む目的で面識のある民家に侵入、刃物で家族4人の頭部を切りつけて殺害し、犯行を隠蔽するために家屋に火をつけたとされて死刑判決を受けた。十分な根拠のない見込み捜査が先行して別件の傷害事件で逮捕され、いったん犯行を自白したが、その後、一貫して否認。第2次再審請求で、仙台地裁は1979年に再審開始を決定、仙台高裁も1983年に検察側の即時抗告を棄却して再審開始が確定し、同年7月から再審公判が開始された。判決は、齋藤氏の自白は容易に信用しがく、また、死刑判決の根拠となった掛布団襟当てに付着した血痕が押収時にも存在していたのか疑問の余地があるとした。さらに、事件当夜に齋藤氏が着用していた蓋然性の高いジャンパー、ズボンからは犯行に見合う血痕が検出されず、当初からそのような血痕は付着していなかった蓋然性が高い(確定審第二審判決では洗い流されたとされていた)として、無罪とした。即日釈放された。釈放時53歳。(読84.7.11夕) |
4 | 赤堀政夫 | 54.3.10 (一審判決) |
54.5 25歳 (朝日86.5. 30) |
58(昭33).5.23 静岡地裁 TKC D1-Law 判タ81号94頁 |
60(昭35).2.17 東京高裁 (再審無罪判決より) (朝日60.2.17夕) |
60(昭35).12.15 最高裁 (再審無罪判決より) (朝日60.12.15夕) |
89(平元).1.31 静岡地裁 昭和58(た)1 判時1316号21頁 判タ700号114頁 TKC D1-Law (読89.1.31夕) |
いわゆる島田事件、あるいは久子ちゃん事件。6歳の女児が幼稚園から連れ出され、山林で暴行の上絞殺された事件。赤堀氏は別件の窃盗容疑で逮捕されたが島田事件についても詳しく調べられ、逮捕2日後に女児殺しを自白、再逮捕された。公判では事件当時は現場にいなかったと主張したが、1審静岡地裁はその信用性を否定して自白調書の任意性を認め、有罪とした(朝日58.5.24静岡)。最高裁で死刑が確定した後、再審請求を繰り返し、4回目の再審請求も静岡地裁で棄却されたが、83年5月東京高裁は、自白調書に客観的事実に反する供述があることなどを理由にこれを取り消して差し戻した。静岡地裁は86年5月、再審開始を決定、検察官からの即時抗告の申立ても東京高裁で棄却し、再審開始決定が確定した。再審では自白調書の信用性が否定され、無罪判決。釈放時59歳。(読89.1.31夕) 検察が控訴を見送り、無罪が確定した(読89.2.7夕)。 |
5 | 袴田巌 | 66.6.30 (読81.4.21朝) |
66.6.18 30歳 (読66.8.19朝) |
68(昭43).9.11 静岡地裁 昭41(わ)329 D1-Law (朝日68.9.11夕) |
76(昭51).5.18 東京高裁 (読76.5.18夕) |
80(昭55).11.19 最高裁 昭51(あ)1607 裁判所ウェブサイト |
24(令6).9.26 静岡地裁 (時事24.9.26 19:06) |
いわゆる袴田事件。みそ会社専務宅が全焼し、焼け跡から一家4人の他殺体が見つかった事件。従業員だった袴田元被告人が逮捕されるも容疑を否認していたが、連日一日平均約12時間の取り調べの末、捜査段階の終盤で自白。公判では一転無罪を主張。一審判決では、売上金を奪おうと物色中に家人に発見されたために殺害、放火に及んだとされた。 2014年3月27日、静岡地裁は再審開始を決定、同日釈放された(静岡地裁 平20(た)1)。検察側が即時抗告し、再審開始決定の根拠となったDNA型鑑定の信ぴょう性について協議がなされていたが(読17.3.27朝)、2018年6月11日東京高裁はDNA型鑑定の有用性には深刻な疑問がある等として再審開始を取り消す決定をした。一方、刑の執行停止と釈放を命じた地裁の決定は取り消されなかった(読18.6.11, 東京高裁 平26(く)193)。同月18日に弁護団側が特別抗告(朝日18.6.19朝)、2019年7月新たな補充書を最高裁に提出(朝日19.7.17静岡朝)。同年12月6度目の理由補充書を提出(中日19.12.11朝)。同月、袴田死刑確定者を支援する複数の団体が早期の再審開始を求める要請書を最高裁に提出(中日19.12.13朝)。2020年12月22日、最高裁第3小法廷は「高裁決定は、弁護側が提出した新証拠について審理を尽くしたとは言いがたく、著しく正義に反する」として東京高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻す決定を出した。高裁決定の取り消しは裁判官5人全員が一致し、さらに2人は「再審を開始すべきだ」との反対意見を述べた。小法廷は、高裁と同様にDNA型鑑定の信ぴょう性を認めなかったが、弁護側が提出した血痕が付いた衣類をみそタンクに漬けた再現実験に着目、逮捕された後に衣類がみそタンクに入れられた可能性があると指摘し、高裁ではその点について審理が尽くされていないと判断した(最高裁第3小法廷 決定 平30(し)332号)。2021年6月、東京高裁で差戻審の三者協議が行われ、弁護側は、血液を付着させた布を複数の条件下でみそに漬け、「赤みは残らなかった」とする実験結果を提出した(毎21.6.27静岡)。これに対して検察側が反論する意見書を提出(毎21.8.13静岡)。これに対して弁護側が矛盾を指摘、さらなる説明を検察側に求めた(毎21.9.5静岡)。2022年11月、検察側が1年2か月続けてきた「みそ漬け実験」を裁判長と弁護団が色合いの確認作業に立ち会った。弁護団によると「(血痕の)赤みは全く消えている」という(静岡新聞22.11.3)。同年12月、東京高裁で差戻審の審理が終了、審理の前には袴田死刑確定者も裁判官と面会した(朝日22.12.6朝)。2023年3月13日、東京高裁は、原審で提出されたみそ漬け実験報告書等について「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当するとした原審の決定の判断に誤りはないとして、再審開始を認める決定を出した。みそ漬け実験等については、検察官が実施した実験によって赤みが残らないことが一層明らかになったと評価し、5点の衣類については、事件から相当期間経過した後に捜査機関以外の第三者によってタンク内に隠匿してみそ漬けにした可能性が否定できない、事実上捜査機関の者による可能性が極めて高いと思われる、と指摘した(朝日23.03.14朝)。この決定の後、弁護団が東京高検に特別抗告断念を求める申入書を提出した他、弁護団によるオンライン署名や日本プロボクシング協会の「ツィッターデモ」、超党派の国会議員の連盟も法務省に申し入れを行うなどして東京高検に対して特別抗告の断念を求める声が広がった(朝日23.3.18朝)。東京高検は「承服しがたい点があるものの、法の規定する特別抗告の申し立て事由が存するとの判断に至らず、特別抗告しない」(東京高検次席検事)として特別抗告を断念、再審開始が確定した(朝日23.3.21朝)。 再審公判は2023年10月27日から始まった(朝日23.10.27夕)。同年12月20日で公判は5回目となり、検察側は、5点の衣類のほかにも犯人とする根拠が複数あり、動機もあると主張した(朝日23.12.21朝)。2024年4月17日、第13回公判で、弁護側は、法医学者による鑑定を基に、犯行着衣とされた衣類に付着する血痕のDNA型が「袴田さんと一致しない」と主張した(福井新聞24.4.17 16:34)。5月22日、検察側は死刑を求刑し、弁護側は無罪を主張して結審した(朝日24.5.23朝)。同年9月26日、静岡地裁(国井恒志裁判長)は無罪を言い渡した(朝日24.9.26 14:02)。判決は、シャツの血痕について弁護団側の鑑定結果の信用性を認め、「捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、タンク内に隠匿された」と判断。衣類のうちズボンから切り取られたとされる端切れも捏造であり、袴田さんの自白についても「実質的に捏造された」とし、「5点の衣類以外の証拠が持つ事実関係の証明力は限定的」として「犯人と認めることはできない」と結論づけた(時事24.9.27 00:56)。同日、日弁連会長により、「「袴田事件」の再審無罪判決を受けて、検察官に対して速やかな上訴権放棄を求めるとともに、政府及び国会に対して改めて死刑制度の廃止と再審法の速やかな改正を求める会長声明」が発表された。同年10月8日、控訴期限の10日を前にして、畝本直美最高検検事総長名が異例の「談話」を発表、捜査機関による捏造を認めた判決については不満を示しつつも、「袴田さんが結果として長期間にわたり、法的地位が不安定な状況に置かれてきた。検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではない」として控訴断念を明らかにした(朝日24.10.8 18:11)。翌日の9日、静岡地検が上訴権を放棄し、無罪が確定した(時事24.10.9 12:26)。 2019年2月、誤判の蓋然性が高いことなどを理由に恩赦を出願(毎日19.3.21西部朝)。2020年1月15日特別基準恩赦に出願。通常恩赦を含めると4度目の恩赦出願になる(毎20.1.16静岡)。2007年、一審静岡地裁の元裁判官が実名を明かしたうえで、無罪の心証を持ちながらも合議の末に死刑判決を書いたと告白、その後、袴田元被告人と面会を果たした(朝日18.1.16朝)。再審を判断するための第三者機関の設立などを目指す「冤罪犠牲者の会」(2019年3月2日結成)に参加(朝日19.3.3朝)。同年12月、事件の概要をまとめ、再審請求の最新情報を盛り込んだ冊子を作成(中日19.12.4夕)。2020年5月、袴田元被告人を支え続ける姉秀子さんの半生を漫画で描いた「デコちゃんが行く 袴田ひで子物語」が出版された(朝日20.5.11朝)。同年8月、支援者らが再審請求の支援のためにクラウドファンディングで資金集めを開始、目標を大きく超える1806万円が集まった(朝日20.10.21夕)。2020年、袴田元被告人が作成し1977年に最高裁へ提出された上告趣意書が編纂され、「袴田さん支援クラブ」で公開された。その中には「私は最高裁の公正かつ神聖と正義を信じたい。その意味で、我々は本件審理過程を国民に情宣し、一般大衆の審判を同時に仰ぎたい。そして高裁のインチキ判決を徹底的に糾弾しなければ、裁判において正義が滅びることになる。国民にとって、これほど悲しむべきことはない。」と書かれており、高裁判決に対する反論が様々な観点から書かれている。逮捕時(66.8.18)30歳(読66.8.19朝)。 |